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更新 : 2009/05/12 SEOUL(ソウル) ガイドSightseeing&Travelソウル五大古宮を訪ねる > 昌慶宮(チャンギョングン)

昌慶宮 (창경궁)
チャンギョングン


Address :
ソウル市 鍾路区 臥龍洞 2−1
서울시 종로구 와룡동 2-1
ソウルシ チョンノグ ワリョンドン

Telephone :
+82-(0)2−762−9515

Contact :
HomePage : 昌慶宮 (チャンギョングン)

Open Hour :
休日 : 火曜日
※ ただし、公休日は開館
開園/館時間  : 9:00 〜 18:00
(11月〜2月は 〜 17:30、 
3月〜10月の土・日・祝は 〜 19:00まで)
*入場は1時間前までとなります。

料金 :
大人 W 1,000
7歳〜24歳 W  500
6歳以下・65歳以上・障害者 無料 

10月3日 開天節(建国記念日)は入場料が無料
宗廟 (チャンギョングン)も内部に連絡通路があり、一緒に見学することができます。

料金 :
※ 団体(20人以上):大人 W 800
     (10人以上)子供 W 400
昌慶宮 (チョンミョ)内部に連絡通路があり、一緒に見学することができます。

* 内容は予告なく変更される場合がありますので、
あらかじめご了承ください。
昌慶宮 (チャンギョングン)

昌慶宮 (창경궁 / チャンギョングン)

歴史深い、朝鮮王宮の正殿・明政殿のある王宮

昌慶宮(チャンギョングン/창경궁)は、1418年に、ハングル文字を創制した朝鮮第4代王・世宗(セジョン/세종)大王が即位した時、父親であった先王の太宗(テジョン/태종)を慰労するために建てられた場所で、最初は
「寿康宮(スガングン/수강궁)」と呼ばれていた。 1592年の壬辰倭乱(イムジンウェラン/임진왜란、文禄・慶長の役)で、すべての建物が焼失、1616年(光海君8年)に再建されされましたが、後のイ・グァルの乱(1624年)の時に再び焼失、そのつど復旧が重ねられ、1484年(成宗15年)に第9代王・成宗(ソンジョン/성종) が、祖母・貞熹王后(チョンヒワンフ/정희왕후)、生母・昭恵王后(ソヘワンフ/소혜왕후)、養母・安順王后(アンスンワンフ/안순왕후) の3人が住むために、明政殿、文政殿、通明殿などの王宮を増築し再建、名前も現在の「昌慶宮」となりました。

昌慶宮 (チャンギョングン) 涵仁亭
昌慶宮は、日本統治時代の1909年(純宗3年)に、“純宗の心を慰める”として昌慶宮内の宮門や塀を壊し、動物園と植物園、1911年には李王家博物館が建てられ、一般に公開された。それにより、王宮としての権威を失い、1911年には名称も「昌慶苑(チャンギョンウォン)」に改名格下げされ、その後長い間、宮殿よりは公園として市民に親しまれてきた。 しかし、1983年12月から3年間にわたり韓国政府の大規模な復元・改修工事を経て、1984年には動物園などをソウル郊外のソウル大公園へ移転させ、「昌慶宮」という名前とともに、元来の昌慶宮に戻した。大韓民国の史跡第123号に指定されている。
南側には宗廟、西側には昌徳宮が隣接しています。昌徳宮と昌慶宮を東闕と呼ぶのに対し、慶熙宮は西闕と呼んだ。
毎年10月、昌慶宮では、「科挙試験再現行事」が行われ、国内外の人々に韓国の伝統文化が体験できる機会を提供しています。

昌慶宮の建物
昌慶宮の地図

☆マメ知識☆
昌慶宮の正門である弘化門(홍화문/ホンファムン) 正面右側にチケット売場があります。その横に日本語・中国語・英語の無料ガイド案内の看板もあります。弘化門を入るとすぐに係員がチケットを受け取り、半券を返してくれます。その横には日本語、中国語、英語の案内パンフレットが置いてあります。
玉川橋の前からスタート。所要時間約1時間。土曜・祝日休(土曜日は案内奉仕員が韓国語で案内します)。

火曜日を除く毎日、無料の日本語ガイドツアーを開催しています。
時間 : 10時30分・13時30分からの1日2回です。
電話 : 02-762-4868 〜 9 内線4

是非、便利な無料ガイドを利用してくださいね。たくさん歴史を学ぶことができますよ☆
昌慶宮 昌慶宮 昌慶宮 昌慶宮

弘化門
@ 弘化門(홍화문)
ホンファムン

昌慶宮の正門で、1484年に建てられたが文禄・慶長の役の際に焼失、1616年に再建後も修理と丹青を繰り返し、本来の美しい景観は潜めてしまったが、木造建築物の研究資料として重要な価値を有している。大韓民国の宝物第384号に指定されている。

* 丹青=彩色を施すこと。


玉川橋 玉川橋
A 玉川橋(옥천교)
オッチョンギョ

玉川橋 (옥천교/オッチョンギョ)は、1483年(推定)に造成された長さ9.9m、幅6.6mの石橋。北から南へと流れる禁川(금천/クムチョン)にかかり、正殿にはこの橋を渡らなければ入ることができなかった。かつて、橋の下には、風水地理説上、山川の精気をもたらしてくれるとされていた「明堂水」が流れていました。大韓民国の国宝物第386号に指定されている。

明政門
B 明政門(명정문)
ミョンジョンムン

正殿・明政殿(ミョンジョンジョン)の正門。昌慶宮の中門にあたる。昌慶宮創建当時の明政門は壬辰倭乱で焼失してしまい、現存の建物は、その建築様式から明政殿と同時期に再建されたものとされている。
明政門 明政門

C 明政殿(명정전)
ミョンジョンジョン

明政殿(명정전/ミョンジョンジョン)は、成宗15年(1484年)に昌慶宮の正殿として創建。即位式が行われたり王が朝賀を受けたりする場所として使用された。壬辰倭乱(イムジンウェラン/임진왜란、文禄・慶長の役)で、すべての建物が焼失したが、1616年に再建。以来、昌慶宮が幾度か大火災に見舞われる中、明政殿は火の手を免れ、現存する朝鮮王宮の正殿のうち最古の歴史を誇っている。
東側に現存する明政門、南側に光政門、北側に光範門があった。朝鮮時代の宮殿はほとんどが南側に向いているが、唯一、明政殿だけは東側を向いている。この点が特徴的である。
天井には王を意味する龍が金色で描かれている。大韓民国の
国宝第226号に指定されている。
明政殿 明政殿 明政殿
明政殿 明政殿
明政殿 明政殿 明政殿

文政殿
D 文政殿(문정전)
ムンジョンジョン

昌慶宮の便殿であり、王と臣下による最高会議が行われた場所。壬辰倭乱で焼失、1616年に再建ののち日本の植民地支配により破壊され、さらに2006年には放火犯により一部が焼失してしまうという受難の歴史を持つ。

* 便殿 (변전/ピョンジョン) =王の執務室

文政殿 文政殿

崇文堂 崇文堂
E 崇文堂(숭문당)
スンムンダン

崇文堂(숭문당/スンムンダン)は、景宗の時に建てられた建物で、王の経筵が行われた所。学者らが学問を磨き、勉学への意欲を奮起する場所として建てられた。朝鮮王朝第21代王・英祖(영조/ヨンジョ)は、ここで酒宴を催し、彼らを激励したという。また、国事を論議することもあった。「崇文堂」の扁額と、「日監在玆」 の懸板の文字は、英祖による直筆

涵仁亭
F 涵仁亭(함인정)
ハミンジョン

元来ここには朝鮮第9代王、成宗15年(1484)に建てられた仁陽殿があったが、朝鮮第14代王、宣祖25年(1592)壬辰倭乱(イムジンウェラン/임진왜란、文禄・慶長の役)で焼失したのち、朝鮮第16代王、仁祖が仁祖11年(1633)に仁慶宮の涵仁堂をここに移築し、それ以来、この建物は涵仁亭と呼ばれるようになった。 その後、朝鮮第23代王、純祖30年(1830に)昌慶宮で大火災が起き焼失したものを、3年後(1833)に再建し、今日に至っている。この涵仁亭は、英祖が科挙の首席合格者を称賛して、もてなしたところであると言われている。
柱のみで構成された開放的な建築様式が特徴で、見晴らしの良い庭にそびえたっている。

* 科挙 : (변전/ピョンジョン) 王の執務室

涵仁亭 涵仁亭 涵仁亭

G 景春殿(경춘전)
キョンチュンジョン

景春殿(경춘전/キョンチュンジョン)は、昌慶宮の内殿(王と王妃の生活空間)として1484年に創建された。第22代王・正祖(チョンジョ)と第24代王・憲宗(ホンジョン)が生まれた場所という。「景春殿」と書かれた扁額は、第23代王・純祖(スンジョ)の直筆。
景春殿 景春殿

H 歓慶殿(환경전)
ファンギョンジョン

歓慶殿(환경전/ファンギョンジョン)は、景春殿とともに、昌慶宮の内殿として使用された建物。1484年に創建されたが壬辰倭乱で焼失。その後も大火災に遭うが、1834年に再建され現在に至る。朝鮮第11代王・中宗(チュンジョン)が息を引き取った場所でもある。
歓慶殿 歓慶殿

I 通明殿(통명전)
トンミョンジョン

通明殿は、明政殿(명정전/ミョンジョンジョン)の北西側にあり、王と王妃が暮らした内殿の中で最も大きく、宴会場所としても使用された建物。飾りが派手で、内殿を代表する建物であり、四隅に軒をめぐらした八作屋根に軒を支える栱包は3枚の羽模様の翼工様式の家で、屋根に棟のないのが特徴である。

1484年(成宗15年)に建てられたが、文禄・慶長の役の際に焼失、1616年(光海君8年)に再建されたが、その後何度か火事があり、現在の建物は1834年(純祖34年)に再建されたもので、懸板は純祖の字である。
宝物第818号。
通明殿
通明殿 通明殿 通明殿
通明殿 通明殿
通明殿 通明殿

J 養和堂(양화당)
ヤンファダン

養和堂は王妃の生活空間として1484年(成宗15年)に建てられた。文禄・慶長の役、丙子胡乱(병자호란/ビョンジャホラン)によって焼失、何度かの再建を経て、1834年に再建、今日に至る。丙子胡乱が起きた際、朝鮮第16代王・仁祖(인조/インジョ)は南漢山城に避難し、翌年1634年、都に帰還するにあたりここに留まった。
1878年(高宗15年)哲宗の王妃・哲仁王后がここで崩御した。懸板は純祖の字である。養和堂は正面6間、側面4間規模の平屋で、四隅に軒をめぐらした八作屋根を載せ、軒を支える栱包は3枚の羽模様の翼工様式。


* 丙子胡乱 : 清の来襲(1636−1637)

養和堂 養和堂
養和堂 養和堂

K 迎春軒(영춘채)
ヨンチュンチェ

正祖が居処した所。
迎春軒
迎春軒 迎春軒

春塘池
L 春塘池(춘당지)
チュンダンジ

春糖池は王が直接畑を耕し、農事の豊凶を予測した所だったが、1909年、日本の植民地支配により造成された。ひょうたん型をした面積7,590uの蓮池。下部分は王が実際に農作業をし、農政の実態を知るための水田だった。池に浮かぶ島は、1986年の復元工事の際に造成された。
春塘池 春塘池

M 八角七層石塔(팔각칠층석탑)
パルガッチルチュンソッタッ

八角七層石塔(パルガッチルチュンソッタッ)は、成宗元年(1470年)に中国で作られたもので、日本の植民地時代の1911年、昌慶宮内に「李王家博物館」を建築する際、満州から来た商人より買い取り、春塘池のほとりに建てた石塔。
宝物第1119号。
八角七層石塔

N 大温室(대온실)
テオンシル

大温室(대온실/テオンシル)は、「植物園」という名称でよく知られている。
隆熙 元年(1907年)に起工し、隆熙3年(1909年)に完成した韓国初の植物園。自生植物・野生花など各種珍しい植物を展示されている。大韓民国の登録文化財第83号に指定されている。
大温室 大温室
大温室 大温室
大温室 大温室 大温室 大温室
☆マメ知識☆
【自生植物学習場】

大温室(대온실)の隣に、自生植物学習場という小さめの野外植物園があります。この教育場は、韓国の山や野原で育つ様々な植物を集め、都市の子供たちがその生態を学ぶことが出来るように設けた場所である。全国どこでもよく育つ野生草花類、蔓植物、水生植物、薬用植物、実を結ぶ木、その他の樹木類など100種余りが集められており、特にウチフノキは世界で1属1種しかない珍しい植物である。
自生植物学習場 自生植物学習場 自生植物学習場

O 観天台(관천대)
クァンチョンデ

1688年に作られた天文観測所。現代の分度器と同じ構造を持つ朝鮮時代の天体観測機器「簡儀(간의/カニ)」が、かつては石台の上に設置され、当時の観測員は天体の位置を終日観測していたと見られる。
観天台

宗廟連絡門(종묘 연락문)

元々は一つの塀の中にあった宗廟(チョンミョ)へと続く陸橋の入り口です。陸橋の下を通る「栗谷路(リュルゴンノ/률곡로)」は、日本の植民地時代に造成されました。しかしその背景には、王宮の昌徳宮(チャンドックン)と国家の精神的支柱だった宗廟の地脈を意図的に切断するという意図があったのではないか、と疑いがもたれているそうです。

ちなみに、橋を渡るのは無料です。宗廟、昌慶宮のどちらかの観覧チケットを購入すれば、双方の観覧が楽しめます。
宗廟連絡門
☆マメ知識☆
【昌慶宮(チャンギョングン)と宗廟を往来できる連絡橋の通行時間】

平日 9:00〜17:30/土・日・祝9:00〜18:30(3〜10月)
全日 9:00〜16:30(11〜2月)
* 観覧終了1時間前まで行き来できます。


 ■ 行き方 (How To Go)
地下鉄3号線 安国(安国/アングッ/Anguk/328)3番出口を出て道なりにまっすぐ約900mほど進みます。昌徳宮の前を通り、十字路が見えたら左折し、約300m進むと左手に正門である弘化門が見えます。

バス : 100、101、102、103、104、106、107、140、143、150、160、161、162、171、172、272、1011、1012、1018、1019


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